文化財一覧解説

山口県下関市長府土居の内町1-6 長府支所内
長 府 観 光 協 会
TEL 083-241-0595 FAX 083-246-1130



・1953年(昭和28年)11月14日指定
・創建は鎌倉末期時代の純唐様建築物(鎌倉円覚寺の舎利殿と同様)です。桁行3間、梁間3間 1重もこし附、入母屋造、檜皮葺き、柱の上部と下部が急に細くなった粽(ちまき)柱、放射 状の化粧タルキなどの特徴を持っています。
・場所:功山寺(下関市長府川端町1丁目)

【拝観期間】
2012年~2014年
 春期:3月15日~6月15日
 秋期:9月15日~12月15日
【拝観時間】
 9時30分~16時30分(最終受付)
【仏殿拝観料】
 一般/500円 (団体20人以上:400円)
 仏殿・法堂・書院等の総合拝観:一般/700円
 (※小・中学生は無料)

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・1950年(昭和25年)8月29日指定 書跡
・足利尊氏ほか3人の和歌
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

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・1950年(昭和25年)8月29日指定 工芸品
・刃長2尺3寸8分強、長府藩主毛利元敏の寄進したものです。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

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・1950年(昭和25年)8月29日指定 工芸品
・応永23年8月と刻まれている。刃長2尺4寸5分5厘、萩藩主毛利元徳の寄進したものです。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

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・1964年(昭和39年)1月28日指定 考古資料
・日本で最も古いと言われている和同開珎鋳銭遺物。下関市立長府博物館に寄託されています。
・場所:覚苑寺(下関市長府安養寺)

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・1978年(昭和53年)6月15日指定 古文書
・忌宮神社は延喜式内社であり、長門の国二宮として同社で修造、縁起、神事、神官の補佐に関する物です。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

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・1929年(昭和4年)12月17日指定 史跡
・和同開珎の鋳銭されたことを示すもので全国6カ所の内場所がわかるものはこの地だけです。
・場所:覚苑寺(下関市長府安養寺3丁目)

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・1926年(大正15年)10月20日指定 天然記念物
・神功皇后伝説による島で、百数十種類の樹木が繁茂する原生林です。
・場所:長府沖合(忌宮神社境外地)

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・1966年(昭和41年)6月10日指定 有形文化財 彫刻
・藤原時代の秀作。この時代のものとしてはふみ下げ足のお姿は珍しいようです。
・場所:功山寺(下関市長府川端町一丁目)

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・1969年(昭和44年)2月4日指定 天然記念物
・樹齢1,000年と伝えられている雌木の巨樹です。
・場所:正円寺(下関市長府中之町)

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・1980年(昭和55年)4月11日指定 有形文化財 考古資料
・両袖式の横穴式石室で6世紀後半の築造と考えられ、出土した4個の新羅系陶質土器は県内における唯一の出土例です。その他にも鉄鎚等貴重な出土があります。 
・場所:下関市立長府博物館(下関市長府川端1丁目)

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・1984年(昭和59年)11月2日指定 無形民族文化財
・毎年8月7日から13日まで毎夜行われている祭り。仲哀天皇の故事に由来するもので1,800年の歴史を誇ります。鬼石(おにいし)という石の中心を、男は大きい 物は長さ10数メートル・重さ100㎏もある竹の幟(のぼり)を抱え、女は切籠(きりこ)を手に踊り舞う勇壮典雅な祭り。天下の奇祭とも呼ばれ、夏の風物詩として市民に慕われています。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

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・1987年(昭和62年)3月27日指定 有形文化財
・安尾家は中世から近世、近代と永々と鋳物師を家業とした家柄です。鎌倉期から南北朝期の文書が大半で中世鋳物師文書としては県下唯一のものです。
・場所:安尾家(下関市長府三島町)

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・1969年(昭和44年)10月1日指定 有形文化財
・明治維新の陰の功労者である白石正一郎家の文書。
・場所:下関市立長府博物館(下関市長府川端1丁目)

・1970年(昭和45年)3月4日指定 有形文化財
・1773年(安永2年)の建立で、2階には20数体の仏像が安置されています。
・場所:功山寺(下関市長府川端町)

・1974年(昭和49年)3月25日指定 史跡
・古くは金山長福寺と称し足利・大内の尊崇厚く、近くは長府毛利家の香華寺として名高い。毛利元就に追われた大内義長はこの功山寺で自害したのです。
・場所:功山寺(下関市長府川端1丁目)

・1979年(昭和54年)3月1日指定 有形文化財
・3間4方の宝形土蔵造りで、内部に8角形の回転経庫を備え、寛政11年長府毛利第11代元義が長府藩祖主秀元の150回忌に供養のため建立したものです。
・場所:功山寺(下関市長府川端1丁目)

・1979年(昭和54年)3月1日指定 史跡
・寄棟造り、棧瓦葺き、桁行5間、梁間4間、入側と畳の間2部屋、違い棚など、典型的書院造り。文久3年三条美実ら勤皇5公卿が潜居したところでもあります。
・場所:功山寺(下関市長府川端1丁目)

・1970年(昭和45年)10月26日指定 有形文化財
・銘備州住正広、刃長2尺2寸2分強、長府藩家老田代大学の寄進したものです。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

・1972年(昭和47年)5月11日指定 有形民俗文化財 
・27面の大名面で、地方では珍しいものです。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮ノ内町)

・1973年(昭和48年)3月25日指定 有形文化財
・全長61.8㎝、銘は長州住顕国、応永4年2月吉日とある。通常の打刀であるが、応永期の特色を現し、当時の長府で打たれた物で大変意義深いものです。
・場所:横尾家(下関市長府宮崎町)

・1975年(昭和50年)2月27日指定 有形文化財
・鎌倉末期に建立とされる当寺に残る石塔で、花崗岩の材質は古く軒反り、初重軸部に四方仏の梵字があります。相輪の紛失が惜しまれています。
・場所:笑山寺(下関市長府川端町2丁目)

・1975年(昭和50年)2月27日指定 有形文化財
・高二百石御馬廻格の同家屋敷には表門、門長屋、練塀が旧態そのまま現存。掟の厳しい中で上級藩士の屋敷規模を保ち、城下町の白眉的存在です。
・場所:下関市長府川端町2丁目

・1976年(昭和51年)3月16日指定 有形文化財
・藩祖の侍医兼侍講の家柄で、武家の門構えと趣きを異にした長屋門は創建当初の原姿を完全に残しており、練塀には格子窓が施されて希少なものです。
・場所:下関市長府古江小路町

・1977年(昭和52年)2月16日指定 有形文化財
・長府藩祖主秀元が慶長7年入府し近世城下町を創設。以来14代元敏の明治2年版籍奉還に至るまで藩政の重要歴史資料であり、貴重な美術品でもあります。
・場所:下関市立長府博物館(下関市長府川端町1丁目)

・1977年(昭和52年)2月16日指定 有形文化財
・用材・形態から化政期のものと見られますが、格子など部分的に、明治期の改修も認められ内部は木屋組です。用材に創建時の名残り遺構がしのばれます。
・場所:下関市長府宮ノ内町

・1979年(昭和54年)12月7日指定 有形文化財
・切妻造り棧瓦葺きの表門は薬医門と呼ばれる物です。門の主柱が中心線より前方にあり、後方に控柱が立っている構造が特色です。 
・場所:下関市長府南

・1981年(昭和56年)3月9日指定 有形文化財
・敷地の西面と北面を限るもので、西面の土塀は切石を延石状に並べ、上に水切石を置いて赤石で3段に練上げ、上に小さな屋根を置いています。北面は東に向かって傾斜しているため、切石積で石垣にして土塀を築き、西面より1段下に小屋根を設けています。
・場所:下関市長府古江小路町

・1981年(昭和56年)3月9日指定 有形文化財
・基礎は野面石を用い、その上に3段に練り固めた土塀ですが、風蝕がはなはだしく、少なくとも藩政時代にはすでに築かれたものと考えられています。
・場所:下関市長府古江小路

・1981年(昭和56年)3月9日指定 有形文化財
・乃木神社の正面入口まわりと境内の東面・西面の練塀が指定されています。
・場所:下関市長府宮の内町

・1981年(昭和56年)11月27日指定 有形文化財
・赤土を干し固め2段に積重ねて最上部に瓦を置き、仕上げにはしっくい等を用いず、荒壁のままを見せる形式となっています。
・場所:下関市長府宮ノ内町

・1981年(昭和56年)11月27日指定 有形文化財
・上記の旧梶山家の練塀は干し固めた赤土を2段に積重ねていましたが、この旧今藤家の練塀では3段に積み重ねています。その他は同じ形式で最上部に瓦を置き、仕上げにはしっくい等を用いず、荒壁のままを見せています。
・場所:下関市長府亀の甲町1丁目

・1981年(昭和56年)11月27日指定 有形文化財
・上記の旧今藤家の練塀と同様の形式で干し固めた赤土を3段に積み重ね、最上部に瓦を置き、仕上げにはしっくい等を用いず、荒壁のままを見せています。
・場所:下関市長府宮ノ内町

・1982年(昭和57年)4月15日指定 有形文化財
・末弘家は毛利藩の中間頭として仕えた120石取りの村井南左衛門、村井六助の屋敷で、これを取りまく練塀は当時の中間頭の格式を知る貴重なものです。
・場所:下関市長府侍町二丁目

・1982年(昭和57年)4月15日指定 有形文化財
・隣り合わせに毛利藩の馬場があり、毛利居場に近く城下の主要な道筋にあたるため往来をしのばせる貴重なものである。
・場所:下関市長府松原町

・1983年(昭和58年)3月30日指定 有形文化財
・門は薬医門で桟瓦葺き、門の片側をささら羽目にし片側に大戸を引く形式で、慶応3年3月2日建立の棟札があります。この門のある現磯谷家は、長府藩第13代藩主毛利元周の息女、れい姫の寓居として建てられたと伝えられています。
・場所:下関市長府古江小路町

・1983年(昭和58年)12月10日指定 有形民俗文化財
・面の由緒によれば、その遠祖は豊臣秀吉が忌宮神社に戦勝祈願の神事能を奉納した際、随従してきた能役者の家筋に伝わった能面であると伝えられ、怪土形2面は出目満茂と出目満矩の作で共に著名な面工の手になるものです。また、他の3面は作者が明らかではないが、その作風からして江戸中期頃の中央作と見られます。
・場所:忌宮神社(下関市長府宮の内町)

・1984年(昭和59年)3月30日指定 有形文化財
・この練塀は、古江小路の南北の屋敷構えを構成する練塀の1部で、弘化3年の城下町絵図によると桂久兵衛、武藤九右衛門屋敷の塀の一部であり、野面石の基礎や3段の版築にした土塀の形式は長府でも古式な形式に属します。藩政時代の遺構であると考えられており、また伝統的景観をよく残しています。
・場所:下関市長府古江小路町

・1986年(昭和61年)5月10日指定 有形文化財
・江戸中期の建築。創立・沿革については解明出来ていない点がありますが角型の石製礎盤、土間床、内開き桟唐戸を使用し内部に大虹染、大瓶束を使い天井の高い堂を作るなど黄檗建築の特徴を表現し学術的にも価値が高いものです。
・場所:下関市長府安養寺町三丁目

・1986年(昭和61年)11月10日指定 有形文化財 彫刻
・南北朝~室町初期の作。豊府志略に功山寺宝物として記録が見えることから、もとは観音の眷属として仏殿に安置されていたと思われます。尊容はそれぞれ鎌倉彫刻の様式を持ちますが全体にずんぐりとして南北朝・室町初期の作風があらわれていると見てよく、二十八部衆像がこれだけ多数まとまっているのは珍しく、日本彫刻史の上からも貴重な存在です。
・場所:功山寺(下関市長府川端町一丁目)

・1986年(昭和61年)11月10日指定 有形文化財 彫刻
・鎌倉末~南北朝。端正にしてまとまりのよい尊様は単なる地方作とは考えにくく、一見、江戸期の模古と見誤られますが、この像のもつ理知的で精悍な表情や細部の手法等からすれば、むしろ鎌倉彫刻の特徴を伝えるものとして優作な像です。
・場所:功山寺(下関市長府川端町一丁目)

・1986年(昭和61年)11月10日指定 有形文化財 彫刻
・この像は1710年(宝永7年)書かれた豊府志略に記録があり、古くから寺中守護仏としてあったものと考えられています。童子を思わせる端麗な面相、複雑な衣褶、獅噛の学実的な手法、ずんぐりとした体躯でありながら軽快な容姿は、相当な技術を有する仏師の製作と思われ数少ない大像の遺品であります。
・場所:功山寺(下関市長府川端町一丁目)