櫛崎城跡

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櫛崎城跡
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山口県下関市長府宮崎町6-2
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櫛崎城跡

厚東氏により築城されたもので大内氏の家臣内藤隆春(ないとうたかはる)の居城として使用されていました。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いにより、毛利氏は防長二州に減封され現在の山口県萩市に本藩を構えます。そして同年11月2日現在の下関市長府に支藩として長府藩が成立します。初代藩主は毛利秀元。当時36200石(後に5万石)。居城として櫛崎城(雄山城)を再築しました。
 しかしながら、1615年(元和元年)閏6月13日、幕府による一国一城の令により、山口高嶺城・岩国横山城と共に櫛崎城の城郭もとり壊されました。そのため、藩主の居館は現在隣接する豊浦高等学校の敷地に置かれました。
 当時の城郭図巻を見ると、松崎口・浜之坂口・三軒屋口の櫓建(ろうだて)があり、現在の櫛崎城趾の碑が建っているあたりが松崎口で大手門二重櫓の跡のようです。この櫛崎城の1部に葺かれていた大鬼瓦が下関市立長府博物館に保管されており、豊浦高等学校にの校庭にはわずかでありますが、薬研堀(やげんぼり)が残されており、現在、石垣が整備されています。
 また、この付近は関見台と言われており、幕末には奇兵隊等が外国船の見張りをした所でもあります。